2025/03/12

Shinto 3

古事記の旧辞に書いてある日向の阿波岐原の御池、日向の青島は「ノアの大洪水」が形成した互層の水平地層の上にあります。日向灘には海岸線に沿って互層の洗濯岩があります。「ノアの大洪水」がそれらの洗濯岩を形成しました。 従って、「ノアの大洪水」以前に地球上で生きていたアダムとイブ、ノアなどの人間の方が、4世紀に出雲で妄想作者が創作したイザナギとイザナミ、それから日向の阿波岐原の御池で生まれたアマテラス神、日向の青島で釣りをした海幸彦、山幸彦などの偶像神より早く歴史に登場したのです。 地球の表面に基定礫が積もった先カンブリア紀に旧辞の神々が生まれていれば偶像崇拝者の妄想に説得力があります。ところが、「ノアの大洪水」以前に地球上で生きていたアダムとイブ、ノアの方が、イザナギ、イザナミ、アマテラス、海幸彦、山幸彦より早く歴史に登場したので偶像崇拝者たちの妄想には説得力がありません。 イエズス・キリストが地球上で生活していた縄文時代、倭国に正確な暦はありません。縄文人が書き残した文献は残っていません。大陸から侵略した弥生人たちが縄文人たちの宗教を破壊したのです。そして旧辞を編纂した者たちは「When, Where, Who, Why, What, How」という「5W1H」の基礎的裏付けのない妄想神話を創作しました。 私は「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史2」【仏教・景教篇】から引用しました。 景教(東方基督教、ユダヤ的基督教、ネストリアン・キリスト教、聖母マリアを神の母と認めない教派、異端派)はインドや中国に伝来して東洋に多大な影響を与えました。 古代基督教国の弓月(ヤマトゥ)に秦氏一族がいました。 始皇帝が命令したので秦氏一族は万里の長城の建設に従事しました。しかし、重労働を嫌って秦氏一族は朝鮮の山戸(やまと)に逃亡しました。 秦氏一族は倭国に移住して対馬、薩摩、日向、近畿で勢力を拡大しました。 私は「古代朝鮮と日本文化-神々のふるさと」(金達寿著)から引用しました。 古墳時代(紀元前4世紀~紀元7世紀)から弥生時代(紀元前4世紀~紀元4世紀)にかけて朝鮮半島南部の加羅地方から太陽神を信仰する海人族が移住して伊勢湾の五十鈴川流域に定住しました。海人族は太陽神をアマテル神として祭り、漁業、航海、農業の守護を願いました。 敏達(西暦572年~西暦585年)は磯宮を伊勢祠(いせほこら)と呼びました。 用明(西暦585年~西暦587年)は伊勢祠を伊勢神宮と呼びアマテラ神を天照神で表わしてヤマト政権の祖神としました。 天武(西暦673年~西暦686年)は、西暦681年3月17日(暦は太陰暦)、「帝紀」と上故(こうえ)の諸事を記録させました。これが「記・紀」編纂の起点となりました。  私は古事記の旧辞を読んで黙想した結果、神道の神々、「擬人化された太陽」、「高天原」などは実在しないことが分かりました。だから多神教的無神論者の氏子たちは、審判者イエズス・キリストが裁く「私審判」の直後、聖三位一体の神が創造した天国・煉獄・古聖所、あるいはルチフェルや悪魔たちが改造した地獄へ入ります。そして「最後の審判」後に存在するのは永遠の天国と永遠の地獄だけです。煉獄と古聖所は無くなります。 紀元前1250年頃、シナイ山で、聖三位一体の神は「神の十戒」を授けました。 第一戒、わたしはあなたの主あなたの神である。わたしの他に誰をも神としてはならない。  日本人の大部分は「神の第一戒」を犯しています。

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第16章