2025/03/07

Buddism 6

我が国には釈迦教に1.875体の「神なるもの」が存在しますがその全てが偶像です。 渡部大修氏によるとギリシャの「万神」パンテオンを模倣して作図した曼荼羅の中心にいるのが「擬人像をもってされた太陽」の大日如来で仏教徒は「お天道さま」を崇拝しています。また、仏教徒たちは「アポロなる観る霊感ある神」の観音を崇拝しています。 従って、インド仏教(釈迦宗)の僧侶たちは「神の十戒」の第一戒を根幹から犯しました。 第一戒、わたしはあなたの主、あなたの神である。わたしの他に誰も神としてはならない。 インド仏教(釈迦宗)の僧侶たちは、創造主、絶対者、唯一神、真の神の存在を否定しました。だから、仏教は、創造主、絶対者、唯一神、真の神を信じない宗教です。「神の十戒」の第一戒を根底から否定した仏教的無神論です。 釈迦教は「唯一神は存在しない。」と信じるから偶像の1.875体の「神なるもの」を捏造(ねつぞう)したのです。 釈迦や直弟子が文字として残した仏典は1つもありません。なぜならば、その当時のインド人は書く文字を持っていません。だから弟子たちが創作した教典が多数ありました。 仏典編集会議の「結集(けつじゅう)」で偶像崇拝教の僧侶たちは記憶していたことを互いに口誦し合いました。 第一結集は、釈迦が入滅してから直ぐに行ないました。 第二結集は、釈迦が入滅してから100年後に行ないました。 第三結集は、釈迦が入滅してから325年後に行ないました。 スリランカ仏教界の歴史書によるとアショーカ王(紀元前268年~紀元前232年)の時代に仏教がスリランカに伝わりました。 その200年後、スリランカ仏教の大寺(マハーヴィハーラ)の比丘(びく)たちが寺院間の抗争を機に経典を正しく後世に伝えようとして文字によって経典を書き残しました。 紀元前1世紀頃、書体によって書写された仏教経典の最初の記録がスリランカにあります。比丘(びく)たちは貝葉(ばいよう) という棕櫚(しゅろ)科の熱帯植物(多羅樹) の葉に書体文字を残しました。 西北インド、中央アジアでは教典の書写の材料として、樹皮、布帛(ふはく)、獣皮、銅版を用いました。 第四結集は、釈迦が入滅してから600年後に行ないました。 カニシカ王(在位:西暦143年~西暦173年)の時代に第四結集(仏典結集)がありました。そのとき「大毘婆沙論」(だいびばさろん)が銅版に刻まれてその銅版をカシミール王宮に保管しました。 後漢時代(西暦25年~西暦220年)、和帝は宮中の御用品製造所長官の蔡倫(さいりん)に「かさばらずに安価な書写材料」の研究を命じました。 西暦105年、蔡倫(さいりん)は書写材料に適している紙を完成しました。

Buddism 5

観音の起源について下記のように書いてありました。 観音の名は正確には「アヴァロキーテジュヴァラ」です。「キーテ」は「観る」、「ジュヴァラ」は「霊感」と訳します。ギリシャ語が冠詞となりサンスクリット語が接尾語となって「アポロなる観る霊感ある神」が創作されました。おそらく紀元前後の頃でしょう。 観音の起源について重要な示唆を与えたのはヨーロッパの印度学者たちでした。 観音教を英訳したケルン博士(西暦1833年~西暦1911年)は次のように決定的な考証をしました。 「インド仏教(釈迦宗)の僧侶たちは逝去した釈迦を追慕するあまりに歴史的な釈迦とは違う釈迦の復元と再現を企図しました。『印度教』(バラモン教)のヴィシュタの神、その妻ドゥルガーの神、それは偶像崇拝者たちが創作した偶像の女性神で戦いの女神です。殺戮と破壊を好みます。手が8本か10本あります。装身具は三叉戟(さんさげき)、円輪型武器、ほら貝、槍、雷、鈴、水瓶などです。乗物はライオンやトラです。夫はシヴァです。アポロ神を模倣して救世主なる観音を創作しました。 薬師とは省略名であって正確には「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい」、印度サンスクリット語で「バーイジャジ・ヤグルヴァイゥールヤ・プラバーサ・タターガタ」と呼びます。「薬を持つ王なる青空色に光る神」となります。神話学では薬師を東から昇りくる「朝日の礼拝」と決定づけています。 「南無大師遍照金剛」とは「弘法大師を拝みたてまつる」であり「遍照」とは空海が支那に留学したとき師匠の恵可(えか)から洗礼を受けたときの「灌頂(かんじょう)」という洗礼名です。「金剛」とは真言宗信仰を意味します。四国の霊場めぐりは観音を味の素とした高野山真言宗の開祖弘法大師を拝む「祖師の崇拝」にすぎないのです。
The Kingdom of Jesus Astronomy data

2025/03/05

Buddism 4

観音は印度サンスクリット語の略名を「アヴァロ」、印度パーリ語の略称を「アパロ」と言います。かつての東京大学教授高楠順次郎博士は「印度仏教史考」で「ギリシャ神話のアポロの神がサンスクリット語のアヴァロ、パーリ語のアパロとなる観音になった。」と語源学的な考証をされました。 コトバンクから「パーリ語」を引用しました。パーリ語 Pāli 古代インドの言語。 原始仏教聖典ならびにスリランカ、ミャンマー(ビルマ)、タイなど東南アジアの南方小乗仏教圏においては現在なお聖典としての権威を保っている。 元来「聖典本文」を意味して注釈書に対蹠(たいせき)される概念であったが「聖典本文の言語」の義に転化して用いられるようになった。 とても重大な「造語の虚偽」:印度になかったアポロを素早く採り入れ観音(アヴァロ)と名付けたのはインド仏教(釈迦宗)の僧侶でした。厚かましい僧侶たちはバラモン教の神々に対抗するために「擬人化された太陽」の仏陀を創作しました。 観音(アヴァロ)を「抜群」「神々の中の王」としました。釈迦宗の僧侶たちは、四千年の歴史を持ち全印度民族の信仰としての「印度教」(バラモン教)の神官たちと権威の座を争おうとしました。「印度教」バラモン教には「観音なる神」がなかったからです。
https://www.youtube.com/@tetsuyosano2810

2025/03/04

Buddism 3

インドの龍樹、オアシス国家亀茲国(きじこく)の鳩摩羅什(くらまじゅう)も仏教を偶像崇拝教に変貌させました。 想像力豊かな仏師たちは偶像崇拝教の仏陀像を妄想と観念で創作しました。 それで仏教徒たちは仏師が妄想と観念で創作した「擬人化された太陽」を拝んでいます。 友人の渋谷氏が数冊の本を紹介したので私は重要な箇所を紹介しました。 「神々のたそがれ」(著者:渡部大修氏、元僧侶、印度学、聖アントニア大神学校教授)にインド仏教(釈迦宗)「大乗仏教」「僧侶」のことが次のように書いてありました。 万神図の首座なる神の「摩訶毘盧舎那如来」(まかびるしゃなにょらい)は印度サンスクリット語の「マハー・ヴァイロキャーナ・タターガタ」で略名を「大日如来」と言います。 摩訶(マハー)は大を意味づける形容詞、「盧舎那」(ロキャーナ)は輝きや照らすをあらわす名詞です。「毘」(ヴァイ)は分詞です。かつての東京大学教授島地博士は毘盧舎那(びるしゃな)を「輝き光る大いなるもの」と翻訳して大日如来を「擬人像をもってされた太陽」と確定づけをされました。俗にいう「お天道さま」にすぎない物体を「造語の虚偽」で神の地位に据えて無知な俗衆を欺瞞しているのが真言宗です。 「奈良の大仏」も毘盧舎那(びるしゃな)で有名無実な巨像です。 万神図(曼荼羅:まんだら)の原作者はインドの龍樹(西暦150年~西暦249年?)です。ギリシャの「万神」パンテオンを模倣して万神図(曼荼羅)を作図しました。しかし、支那においても信仰と共に滅亡して我国でのみ国宝として重要芸術品として保存されているにすぎません。万神図(曼荼羅)は芸術的には逸品として鑑賞に値するでしょうが万神図(曼荼羅)を信仰の対象とする時代は既に過ぎ去っているのです。

2025/03/03

Buddism 2

釈迦は「御父の無限の正義」「死者の復活」「罪の贖い」「原罪」という概念を持っていません。釈迦の遺体は荼毘に付されたので釈迦の肉体は死者の中から復活していません。 だから荼毘に付された後に肉体を帯びた釈迦が地球上に出現したことはありません。 釈迦が荼毘に付されてから数百年後、インド仏教(釈迦宗)の僧侶たちはバラモン教の神々に対抗するために「擬人化された太陽」の仏陀を妄想と観念で創作しました。インド仏教(釈迦宗)の僧侶たちが「擬人化された太陽」の仏陀を妄想と観念で創作したので仏教は欺瞞の宗教です。仏教徒たちはインド仏教(釈迦宗)の僧侶たちが「擬人化された太陽」の仏陀を妄想と観念で創作したことを知らないのだと私は思います。

2025/03/02

Buddism 1

[1]私は、インド仏教(釈迦宗)の僧侶が妄想と観念で創作した偶像の仏陀、「擬人化された太陽」、仏教、仏教徒、偶像崇拝、仏教的無神論について解説しました。 紀元前463年頃(別の説では紀元前560年頃)、インドで釈迦が誕生しました。 但し、正確な「釈迦の生年月日」は不明です。 釈迦はいとこのヤソーダラーを正妻に迎えました。 釈迦は19歳で結婚しました。釈迦は29歳の時に男の子を儲けました。 私は、釈迦が地球上で生活していた頃の「インド暦」について何も知りません。だから「釈迦の生年月日」も知りません。 釈迦は地球上で生きていた時に絶対者の存在を否定しました。 釈迦は死ぬまで天国におられる創造主、聖三位一体の神を否定しました。 釈迦は旧約聖書の創世記を否定して説法を「縁」から始めました。 真の神が天使たちを裁いて堕天使たちが悪魔に変貌したことに釈迦は気付きません。だから悪魔の前で「神はいない。」と告白しました。悪魔は釈迦の答えを聞いて苦笑しました。 悪魔が私に初めて出現した時に私は直感しました。 「これが本物の悪魔なのだ。真の神から裁かれて変わり果てた悪魔なのだ。」 「天使たちの審判者と人間の審判者は同じなのだ。」 釈迦は亡くなる際に弟子たちに遺言しました。 「諸々の事象は過ぎ去る。怠ることなく修行を完成せよ。」 釈迦は原罪を持っていました。釈迦は地上で自罪を犯しました。だから紀元前383年頃(別の説では紀元前480年頃)、イノシシ料理で腹を壊して80歳で没しました。 釈迦は死に打ち勝てません。だから母親マーヤと同じく火葬されて荼毘に付されました。 仏教徒は釈迦の遺骨を仏舎利塔に分骨しました。仏歯寺に釈迦の歯があります。

Buddism 6

我が国には釈迦教に1.875体の「神なるもの」が存在しますがその全てが偶像です。 渡部大修氏によるとギリシャの「万神」パンテオンを模倣して作図した曼荼羅の中心にいるのが「擬人像をもってされた太陽」の大日如来で仏教徒は「お天道さま」を崇拝しています。また、仏教徒たちは「アポロなる観...